「谷崎潤一郎『秘密』論――『三友館』表象を中心に」発表を終えて

発表では、「秘密」における劇場「三友館」という固有名詞の必然性、そこで「私」とT女が映画を観賞するという行為の意味を分析した。谷崎の(映画体験)の重要性はこれまで諸家によって指摘されてきたが、「秘密」において、はじめて映画がモチーフとして取り扱われることへの意義づけは、まだ余地を残していると考えたためである。
「秘密」は、日常の異化が主題として描かれており、芸術=虚構としての映画はその象徴として、作中に引用されていた。三友館という劇場空間は、仮構の空間でしか生きられない人物である「私」とT女を結びつける場として相応しかったと結論付けた。また谷崎は、映画鑑賞という行為の身体性、現場性を見抜いており、そのまなざしは後世の「人面疽」や「アヹ・マリア」に継承されたと考えられよう。
質疑応答では、三友館に関する資料の収集に留まり、作品の解釈が不十分であったことが主な課題として挙げられた。自分に足りていなかった視点や研究方法など、さまざまなご指摘を頂くことができ、たいへん勉強になった。たとえば、三友館の位置づけが不明確であり、他の映画館との横軸的比較を加えることで、三友館の固有性が浮かび上がってくるのでは、というご指摘を頂き、広い視野による調査の必要性を痛感した。谷崎が固有名詞を扱うことの意味をめぐり、現実世界と虚構世界における差異の内実を追究すべきであり、そこから、谷崎がいかに先端的な表現をしていたか明らかにすることができるのでは、というご指摘は、自らの研究方法を問い直す契機となった。また、描かれた<場>をただ調査するだけでは不十分であり、あくまで作品におけるその<場>の意味の解釈が必要であることを再認識した。自らの研究によって<読み>がどう変わっていくのか、という批評的意識を持ち、作品に向き合っていかねばならないと思うばかりである。
谷崎と映画の関係をめぐる論究は、谷崎文学の本質を知る手がかりとなり得る、有効なアプローチであると言えるだろう。また、谷崎を初めとして、小説と映画の間を往還した作家たちの足跡を辿ることは、活字文化と映像文化が交錯、競合する現代においても、意義のある作業であると考えている。今後の研究に、研究会で得たものを還元していきたい。

最後に、今回の研究会、懇親会において、多くのご指摘やご助言を頂きましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。谷崎を愛し、研究する皆さまと、さまざまな意見交換ができましたことは、研究の糧となりました。
発表の機会を与えていただき、まことにありがとうございました。 【佐藤未央子】




「描写と裏切り−挿絵から読む『痴人の愛』」研究発表を終えて

今回の発表では、『痴人の愛』を新聞連載小説として捉え直し、テクストとしての「痴人の愛」について挿絵や新聞記事、広告をもとに再考を試みた。
「痴人の愛」は、挿絵だけでなく映画記事や女性をターゲットとした消費的/性的な広告とともに見られることで、ナオミへの消費や性に対する読者の欲望を助長した。しかしそれが行き過ぎた結果、新中間層へ向けた商品という点で一致していたはずの新聞社・谷崎・田中の意図はだんだんずれていく。そのずれがテクストと挿絵の間に葛藤を生み、「お伽噺の家」での熊谷と浜田のお泊まりや二度目の鎌倉旅行などで具体的な姿を描くことが出来なくなってしまう。この葛藤と描写に新聞連載小説「痴人の愛」への新聞社の期待と裏切りが見て取れる。しかし、この裏切りは読者にとってのものではない。「ナオミズム」という流行語を生むほど「痴人の愛」が若い世代に受け入れられたことから、『女性』への移行は新中間層の女性にとって、よりふさわしい場への移動であったといえるだろう。
質疑応答で多くご意見・ご指摘をいただいた田中良の来歴や作風と「痴人の愛」の関わり、また同時代の他の新聞連載小説との比較については今後の課題としたい。【林恵美子】




第17回谷崎研究会のお知らせ

第17回谷崎潤一郎研究会を以下の内容で開催します。

[日 時]2013年3月16日(土) 13:00〜18:00(開場12:30)

[会 場]大妻女子大学(千代田キャンパス)図書館 5階 会議室
   〒102-8357 千代田区三番町12
*大学校舎と図書館とが少し離れていますので、ご注意ください。
*大学までのアクセスは[こちら
*図書館周辺地図は[こちら
*大学構内は禁煙です。また、大学周辺は路上禁煙地区に指定されています。

[研究発表]*司会: 佐藤淳一/細川光洋
佐藤未央子「谷崎潤一郎「秘密」論―「三友館」表象を中心に」
林恵美子「描写と裏切り─挿絵から読む『痴人の愛』」
姚紅「谷崎潤一郎と中国の伝統演劇」
木龍美代子「谷崎作品と川田順、そして佐佐木信綱―『羮』『痴人の愛』から戦後作品を中心に」

(※発表要旨は次ページに掲載)




“阪神大水害史からみた「細雪」山津波の件の一考察”の発表を終えて

「細雪」は太平洋戦争へと横滑する暗い時代の下、没落商家の四姉妹が織りなす日常生活の「明と暗」を巧みに描いた小説で、雪子を中心とした「明るい」話題と妙子の「暗い話題」が川の流れのように描かれている。「山津波の件」は妙子が阪神大水害の山津波で九死に一生を得る「暗」の最大イベントであり、読者をハラハラドキドキさせる中段の見事なクライマックスを形成している。今回の発表では、「細雪」の山津波の件は阪神大水害の史実に沿って極めてリアルに描かれており、その濁流の真っただ中にいる妙子の状況、安否を気遣う貞之助と幸子の心配が読者に伝わる谷崎ならではの名文であることを再確認した。原稿を練りながら常に頭から離れない課題があった。それは小説「細雪」における「山津波の件」の存在意義と妙子の人生観・行動への影響であった。以下に、「細雪」における3姉妹の「明暗」の主な話題を抽出し、発表後記としてそれを概観してみる。
幸子:京都観桜旅行企画5回、見合い付き添い、蒔岡家諸事、近隣交際、貞之助との旅行2回、黄疸、流産
雪子:見合い5回と結納、本家での滞在、悦子の世話、看病(悦子、妙子)、幸子の相談相手、妙子への説教
妙子:新聞事件(駆け落ち)、奥畑との隔離、人形教室と個展、キリレンコ家、洋裁・自立構想と本家の反対、舞の会、山津波被災と板倉の救出、板倉との急接近、山村舞師匠死去(名取断念)、フランス修行本家の反対、支度金問題、板倉凄絶な死、洋行断念、奥畑と縒りが戻る、家を出る、宝石等搾取(贅沢の味)、赤痢罹病、三好との接近、奥畑と縁切、妙子妊娠、死産、三好との結婚、蒔岡家との別離(以上、時系列に列挙)
雪子達の「明るい話題」は華やかではあるが一過性で日常的なイベントである。一方、妙子の「暗い話題」は次々と連鎖反応的により深刻なイベントへと形を変えて彼女の人生観、価値観に影響を与えつづける。“山津波”のインパクトは紆余曲折を経て最後の“蒔岡家との別離”まで影響を及ぼす。それは妙子の決定的なターニングポイントであった。幸子が述懐する“末妹ゆえに生い立ちにおいて不幸な妙子”は、母の愛(7歳で死別)と父の庇護(15歳で死別)において薄幸であった。それは、その後の暗い話題が示すように“活発に振舞おうとする妙子”の悲哀に満ちた人生に繋がる。それにしても谷崎は夥しい[暗]を妙子に負わせたものである。
妙子は、贅沢の味に後ろ髪を引かれながらも没落商家の無価値な幻影(3人の姉が抜けだせない)から一人決別してゆく。この寂しくも又たくましい妙子の強さ、生き方(彼女の満足する結末にはならなかったが)も戦後の時流に沿う新しい女性の生き方として肯定できるものであり、谷崎は暗にそれを読者に伝えたかったのではないだろうか。「暗」と戦う妙子こそ「細雪」の「主役」であり、華やかに見える雪子達はそれを効果的に演出する「脇役」であったと、私は考える。なぜならば、雪子たちよりも妙子の方がずっと多くの事柄(人生)を教えてくれるからである。 “小説「細雪」の明と暗”の考察は今後も課題としたいと思っている。【野澤和男】
 



『猫と庄造と二人のをんな』について〜マゾヒズム、その可能性と不可能性

発表では、まず、この物語が縦軸をなす(おりん−庄造−リリー)の線分と横軸をなす(品子−庄造−福子)の線分が庄造を中心に6つの三角関係を形成し、これが物語を動かすエンジンとなっていることを確認した。また物語の類型としては『遠野物語』や『今昔物語』にあるような人間と動物の恋愛に関する物語という意味では、日本文学の伝統を継承しつつ、伝記であるかのような『春琴抄』や紀行文的な『吉野葛』などとともに、谷崎文学の豊かなバリエーションの一角を形成しており、また神との比較において人間を考える『神と人間の間』に対して、猫との係りにおいて人間を考える「猫と人間の間」でもある。しかし漱石の『猫』の名無しのオス猫が、明治の知識人達を皮肉り、文明批評までしてしまう知的で人間化された存在であるのに対して、谷崎の猫はあくまで情動的で美的な存在である。
リリーに関しては、谷崎文学における代表的なヒロインのイメージである「若く、美しく、高貴で、理想的な西洋人女性像」のパロディーと位置づけ、さらに谷崎の作品や人生とのレファランスからは、「略奪婚」といった観点から『少将滋幹の母』や松子夫人との結婚を挙げ、猫≒妻譲渡事件に関しては、(1)佐藤春夫との間での千代夫人の譲渡。(2)松子夫人との結婚に際し、妻の吉川丁子の新夫を自ら選定。(3)また妻譲渡をテーマとした『蓼喰ふ虫』などとのレファランスの中にある作品ということができる。最終的な読みとしては、庄造と品子という離婚した夫婦がともにリリーと等しく親密な関係を築いたが故に、リリーを介して再びやり直す可能性が開かれたところで物語が閉じられている、と考えた。その意味では、『卍』をコミカルに乗り越えた作品と言えるだろう。
また語りについては、「言」は関西弁、「文」は標準語という言文不一致体。語り手がある「言」を読者に示した後で、あたかも読者にその意味を説明するかのように反復しながら、自らの内に取り込むことで、「言」と「文」の乖離とそれによる物語の破綻を回避しようと試みている点についても若干触れたが、この点については今後の研究課題としたい。同様に、質問のあった源氏物語現代語訳との関係や「宇治十帖」の物語内容との関連などについても、考えてみたいと思う。【生江和哉】



「「近代」の鬩ぎ合い――谷崎潤一郎『痴人の愛』試論」〜 研究発表を終えて

今回の発表では、谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』において「近代」がいかに現れるかを考察した。発表を終えて、まだ谷崎の「近代」という大きな森の一つの入り口に佇んでいるといった感じがあり、反省も残る。しかし一方で、発表者の余白を埋めるかのように会場よりさまざまな角度から「近代」を問い返すような指摘を頂き、問いそのものの有効性を再確認することができた。多くのご助言を頂いたことに感謝を申し上げると同時に、今回の発表を出発点として今後さらに追求していきたい論点を整理し、これからの課題をこの場を借りて報告したい。

発表はまず第一に、「近代」が示す意味内容を具体的に作品に即して明らかにし、その上で第二に、「近代」を構成するさまざまな価値に依拠しながら登場人物たちが鬩ぎ合う「近代」の力学を浮かび上がらせようとした。そのための出発点として、同時代言説を参照し、「近代」あるいは「モダン」が多様な位相をもつこと、なかには互いに矛盾する価値が「近代」として並んで語られていることを確認した。この「近代」の多義性や両義性を踏まえて、谷崎の「近代」だが、まず言葉の使用の面で、モダン語辞典類の用例に映したとき、一つの疑問が浮上した。『痴人の愛』の作品中には「近代」「ハイカラ」「西洋」といった言葉が頻出するが、『痴人の愛』の執筆当時「モダン」という言葉が既に流通していたにも関わらず、敢えて「ハイカラ」や「近代」という言葉を用いた理由とは何か。一つにはこの作品が回想の形式に拠ることが考えられるが、単純に時代的な理由以上の意味がありそうであるし、読者が読む際の効果も異なってくるだろう。一方、後者の論点と関連しては、会場の皆さんから非常に多くの教示を頂いた。谷崎における「近代」は、西洋風俗の摂取が論じられることが多いが、科学や技術、電気、西洋における「近代」との差異など、『痴人の愛』の「近代」を読む際に考慮すべきキーワードは多くある。谷崎潤一郎という作家やその作品が体現している「近代」の多彩な側面を、その文脈により密着して照らし出していくことは私の課題である。

研究会を通して、励ましに満ちたご助言ご指摘を頂けたことが幸運であることはもちろんであるが、ふだん戦後を専門としている私にとって、谷崎に携わっている皆さんとの交流の機会に恵まれたことは、もう一つの大きな喜びであった。今回の研究会でうまれた刺激も交流も大事にあたためていきたい。【金志映】 



第16回 谷崎潤一郎研究会のご案内

 第16回谷崎潤一郎研究会を開催します。

日時:2012年3月24日(土) 13:00から
会場:神戸女子大学教育センター・特別講義室
http://www.yg.kobe-wu.ac.jp/wu/access/index.html#sannomiya
〒650-0004 神戸市中央区中山手通2-23-1
(JR三ノ宮駅より徒歩20分。NHK神戸のそば)
[発 表]
金志映「鬩ぎ合う「近代」―谷崎潤一郎「痴人の愛」試論―」
生江和哉「『猫と庄造と二人のをんな』について
〜マゾヒズム、その可能性と不可能性〜」
野澤和男「阪神大水害史からみた「細雪」山津波の件の一考察」
(※発表要旨は次ページに掲載)
[問い合わせ]info(a)tanizakij.net ※(a)を@に換えてください。

◎研究会終了後に懇親会を行います。ぜひご参加ください。



第16回谷崎研究会のお知らせと発表者募集

東日本大震災が発生し、延期していました第16回谷崎潤一郎研究会を
丸々一年延期して、次のように開催することといたしました。
 
 日時:2012年3月24日(土) 13:00(予定)
 会場:神戸女子大学 教育センター
 
研究発表はすでにご用意いただいていた生江和哉さん、野澤和男さんにお願いしています。
ただ、発表予定であった田中伸布子さんが事情により辞退されました。
これを受けて、若干名の発表者を追加募集いたします。
 
◆発表希望者は運営委員会にメールでお申し込みください。
[締切] 2011年11月30日(水) 23:59
[内容]  発表タイトル・要旨(400〜600字)
[宛先] info@tanizaki.net

なお、採択は運営委員会で決定します。【事務局・明里千章】



第16回谷崎潤一郎研究会の延期について

先にお知らせしておりました、3月19日(土)の谷崎研究会ですが、
このたびの東北地方太平洋沖地震の影響を考慮し、開催を延期(次期開催日その他は未定)することに決定しました。
発表予定のみなさま、会場校の神戸女子大の安田孝さま、その他会員各位にはご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。
末筆ながら、このたびの震災で被災されたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。【谷崎潤一郎研究会・運営委員会】



第16回谷崎研究会発表者募集

以下の日時・会場で第16回谷崎潤一郎研究会を開催します。

[日 時]2011年3月19日(土) 13:00から
[会 場]神戸女子大学教育センター・特別講義室
http://www.yg.kobe-wu.ac.jp/wu/access/index.html#sannomiya
〒650-0004 神戸市中央区中山手通2-23-1
( JR三ノ宮駅より徒歩20分。NHK神戸のそば )
 
◆研究発表を希望される方は、運営委員会にメールで申し込んでください。

[内 容]発表タイトル・要旨(400〜600字)
[〆 切]2010年11月30日(火)
[提出先]info(a)tanizakij.net ※(a)を@に換えてください。

郵送ご希望の方は、事務局・明里千章の自宅宛にお願いいたします。

※採択は運営委員会で決定いたします。



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研究会に関するご連絡は
までお願いします。
※谷崎潤一郎に関するご著書・ご論文等を刊行・発表された方は、研究会会員内外を問わず、情報をお寄せください。ご論文については150-300字程度の[要旨]をお送りいただけるとありがたく存じます。
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