第20回谷崎潤一郎研究会のお知らせ

第20回谷崎潤一郎研究会を以下の内容で開催します。
[日 時]2016年3月27日(日) 13:00〜17:00(開場12:30)
[会 場]県立神奈川近代文学館 2階ホール
〒231-0862 横浜市中区山手町110(港の見える丘公園内)
http://www.kanabun.or.jp

[プログラム]
□研究発表
*司会:明里千章
柴田希「文芸映画のなかの谷崎文学―「春琴抄」を例に─」
生方智子「明治四十年代の青年文化―第二次「新思潮」と夏目漱石『彼岸過迄』における青年像―」

□講演
笹沼東一「谷崎潤一郎と祖父笹沼源之助」
(※発表要旨・内容は次ページに掲載)
[発表要旨・内容]
□研究発表
◆柴田希「文芸映画のなかの谷崎文学―「春琴抄」を例に─」
時代を越え、繰り返し映画化される小説のひとつに、谷崎潤一郎の「春琴抄」がある。いうまでもなく、1933(昭和8)年6月、『中央公論』にて発表されるや否や、川端康成・正宗白鳥らによって絶賛された、谷崎文学を代表する小説だ。そのような小説の映画化に先鞭をつけたのは松竹キネマ(松竹蒲田撮影所)で、監督を島津保次郎が務め、春琴を田中絹代、佐助を高田浩吉が演じた。映画『お琴と佐助』は「春琴抄」発表の2年後、1935(昭和10)年6月に封切りを迎え、以降、『春琴物語』(1954 伊藤大輔/京マチ子・花柳喜章)、『お琴と佐助』(1961 衣笠貞之助/山本富士子・本郷功次郎)、『讃歌』(1972 新藤兼人/渡辺督子・河原崎次郎)、『春琴抄』(1976 西河克己/山口百恵・三浦友和)、『春琴抄』(2008 金田敬/長澤奈央・斎藤工)と、今日まで断続的に映画化が続く。
とりわけ注目すべきは、島津版『お琴と佐助』をきっかけに、映画批評家で詩人の北川冬彦と島津の間で、文学作品の映画化をめぐる論争が生じたことであろう。同時に、映画がサイレントからトーキーへ移行した1930年代は、〈文芸映画〉の昂揚期にあたる。このような緊張感をはらみ文学と映画が交錯するなかで、谷崎は『お琴と佐助』の封切り前に「映画への感想――「春琴抄」映画化に際し」(『サンデー毎日 春の映画号』1935.4)を発表した。
本発表は、俯瞰的に同時代との照合やフィルム間の比較が行える「春琴抄」の映画化をケーススタディとし、島津版『お琴と佐助』に対する谷崎の言説を整理し考察を加えることで、今後、谷崎文学の映画化という大きなテーマを考えてゆくための端緒としたい。(早稲田大学大学院教育学研究科 後期博士課程)

◆生方智子「明治四十年代の青年文化―第二次「新思潮」と夏目漱石『彼岸過迄』における青年像―」
明治四十三年九月に出版された第二次「新思潮」創刊号には、夏目漱石『門』(「朝日新聞」明治四十三年三月〜六月)、島崎藤村『家』(「読売新聞」明治四十三年一月〜五月)に関する同人評が掲載された。谷崎潤一郎「『門』を評す」、大貫晶川「『家』を読む」、木村荘太「『家』に就ての印象と感想」は、いずれも漱石や藤村の作品に自然主義文学とは異なる特性を見出そうとしている。第二次「新思潮」の同人たちは、〈ありのままの現実〉を描こうとする自然主義文学を超えて新たな文学のテーマを探究していた。その際に参照されていたのがオスカー・ワイルドやダヌンチオといった西洋文学や思想、そして失われた過去としての〈東洋〉だった。
夏目漱石は『彼岸過迄』(「朝日新聞」明治四十五年一月〜四月)の中で、敬太郎と須永という二人の青年を登場させた。作品中から、彼らは明治二十年前後の生まれで東京帝国大学で教育を受けた、谷崎たちとほぼ同世代の同じ文化的階層に属する人物であることが分かる。敬太郎は「遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年」であり、スティーブンソン『新アラビア物語』にあこがれて探偵行為を試みる。また、須永はアンドレーエフの独訳『ゲダンゲ』の主人公を鏡像として自分自身の欲望を対象化しようとする。本発表では、『彼岸過迄』に描かれた青年像を検証し、〈西洋〉を通して〈東洋〉が現れる領域に新たな〈現実〉を見出そうとした明治四十年代の青年文化の特徴を考察する。その結果、〈西洋〉と〈東洋〉の間で自己分裂を生じさせた近代日本のアイデンティティの形を明らかにしたい。(明治大学准教授)

□講演
◆笹沼東一「谷崎潤一郎と祖父笹沼源之助」
この度、お話してくださる笹沼東一氏は、谷崎の竹馬の友である笹沼源之助の孫で、現在、源之助がはじめた会社「ライファン」の経営をしておられます。
谷崎は『幼少時代』(昭和32.3刊)をはじめ、機会がある度にいろいろなところで笹沼源之助に触れて書いておりますが、源之助は日本最初の中華料理店だった偕楽園の息子で、谷崎は幼少時代から生涯にわたって親しく交際しました。昭和三十五年十一月に亡くなりましたが、その追悼文集『撫山翁しのぶ草』(昭和38.5刊)は、谷崎がみずから編集したものです。それに寄せた文章「「撫山翁しのぶ草」の巻末に」で、「ブウさん」(源之助)への想いを綴っておりますが、「明治四十三年の秋、私が月謝滞納のために大学を追はれ、九月に第二期「新思潮」を創刊しようとした際に、その資金を提供してくれたのは矢張ブウさんであつた。金額はたしか貳百円だつたと思ふが、当時としては大金であつた。私が二十四五歳で文壇に出られたのは一にこの好意のお蔭である」といっております。これはよく知られた逸話ですが、谷崎はこの文章を「私としては正直のところ、書き足りない」といって擱筆しています。「純粋の友情」をもって書かれた親友を想う谷崎の真情が溢れています。
「源ちやん」の孫である笹沼東一氏に、祖父笹沼源之助について、また笹沼家から見た「潤ちやん」のこと、二人の交友についてお話をうかがいます。(文責:谷崎潤一郎研究会事務局)
 



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