「関東大震災と文学―芥川龍之介と谷崎潤一郎」の発表を終えて

今回の発表では、関東大震災を取り込んだ芥川と谷崎の作品に着目しながら、その描き方の相違について考えてみた。具体的にいえば、芥川が、関東大震災後の悲惨な現実を直視し、その中にも詩的な光景があるとして、その光景を進んで描き出そうとしたのに対して、谷崎が、地震後の悲惨極まりない現実を殆ど描き出そうとはせず(大地震に襲われて逃げ延びるまでの実際の体験を随筆で書くことはあるけれども)に、むしろ、その現実の対極にある世界を描き出そうとしていた、ということを述べた。その上で、こうした相違には、大枠においてではあるが、「小説の筋」論争の対立と重なるところがあると指摘した。
発表の後、様々なご意見をいただいた。そのうちの二つをここで紹介したい。まず、発表では、芥川が、「大震に際せる感想」の中で、関東大震災後の悲惨な現実に直面しても、「否定精神の奴隷となる勿れ」と言い切っていたにもかかわらず、実際には、そのような強さを持っていなかったのではないかということを述べたのであるが、「或阿呆の一生」の一節を、そう述べるための論拠として使用してしまった。そのことに対する批判があった。「或阿呆の一生」は、敗北者芥川の自己像を強調する作品であるので、論拠として使用するのは必ずしも適切ではないのではないかというご意見である。このご意見は、厳密にいえば、確かにその通りであると思われる。「或阿呆の一生」とは別に、論拠となるような材料を探して、補っていく必要があると感じた。また、谷崎は、エッセーの中で、関東大震災によって自分の故郷が失われたので、悲しく思うと書いているのであるが、その一方で、関東大地震が発生した時、乱脈を極めていた当時の東京が破壊され、本当の近代都市がここから新たに誕生するはずであるので、そのことを嬉しく思うとも書いている。そのため、後者の谷崎の感想に着目するならば、そもそも、谷崎は関東大震災をむしろ歓迎したのであり、関東大震災に大した衝撃を受けなかったのではないか、という指摘をいただいた。この指摘は、換言すれば、谷崎は、関東大震災後の悲惨極まりない現実に呑み込まれないように意識的に目を閉ざしたのではなく、その現実に、初めから他人事として無関心であったのというものである。確かに、その可能性も存在するだろう。今回の発表では、その可能性に言及しなかったので、その点、不十分であったのかも知れない。ただ、谷崎が実際に無関心であったのか否かという点はひとまずおくとしても、谷崎がその悲惨な現実を作品の中にあまり描こうしなかったという点は、やはり留意すべき問題として指摘し得る。関東大震災後に関西に移住するとはいえ、地震発生の後、横浜にいる妻子のもとへ向かうまでの間に、関東大震災後の悲惨な光景を見てきたはずの谷崎が、あるいは、仮にその悲惨な光景を見ていなくとも、関東大震災の深刻な被害を容易に想像し得たはずの谷崎が、その悲惨な現実を殆ど書かず、むしろ、その現実を否定するところで成立するような世界を書こうとしていたという点に、やはり、芥川とは対照的な作家としての姿勢を見ることができるということはいえるのではないかと考えている。
千葉俊二氏の発表でも紹介されていたが、当時の多くの作家たちは、関東大震災はさしたる影響を文壇に及ぼさなかったと言い切っていた。しかしながら、たとえ当の作家に十分に意識されていなくとも、関東大震災が、作家のこれまでの文学的傾向を深化させたり、あるいは、変化させたりということが、実際にはあったのではないだろうか。何にどう影響されたのかということは、その時代に実際に生きる人間には往々にして見えにくいものである。関東大震災が文学に何をもたらしたのかという問題は、関東大震災から90年の時間が経過し、また、東日本大震災を経験した今だからこそ、改めて考えてみる必要があるだろう。今回は、不十分であったけれど、そうした問題意識に基づいて発表させていただいた。
最後に、谷崎潤一郎研究会を高知で開催していただいたことに、心からの感謝を申し上げたい。私にとって大きな刺激になったことはいうまでもないが、それだけではなく、研究会に参加した高知大学の学生の目の色が明らかに変わった。研究会や学会に参加し、多くの人と意見交換することによって初めて分かることがあるということを、頭では理解していたのであるが、今回改めて痛感した。【田鎖数馬】



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